ようやく福岡藩における幕末以降の志士を数名知る事ができました。
凄まじい方々がおられますが、とても心魅かれた人物は、やはり武部小四郎でしょうか…。

以前、筑紫新聞に書かれている記事の話を聞きに行って知った事ですが、福岡藩にも西郷隆盛が決起した事を知り、それに同調して西郷軍に合流しようと立ち上がった志士達がいます。その中の1人が武部小四郎です。

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筑紫新聞などから見ても西郷軍の劣勢になり出した頃に、今の南区寺塚にある穴観音においも西郷軍に呼応する密議をしたとの事ですが、私が生まれ育った近所だった事に驚きました。

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密議に列席していた青年団の中に近世快人伝に語られてある奈良原到も同席していた様です。この近世快人伝を読むと、破天荒といった方の本当の意味がよく分かります。

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この本の中で密議に列席していた青年団から、「頭から石油を浴びて、袂に火薬を入れたまま兵営や火薬庫に忍び込み、マッチで袂に火を放って走り回れば火事になりましょう」。つまり今の福岡城(舞鶴城)を自分の命の引き換えに破壊するキッカケを作ると言う者が現れると、青年団から「遣ってください」と多くの声が上がるのを聞いて、武部小四郎は「万一吾々が失敗したならば貴公達が、吾々の後跡を継いでこの皇国郭清の任に当たらねばならぬ。また万一吾々が成功して天下を執る段になっても、吾々が今の薩長土肥のような醜い政権利権の奴隷になるかならぬかという事は、他ならぬ貴公達に監視してもらわねばならぬ。間違うても今死ぬ事はなりませぬぞ」と言われると、皆泣き出したそうです。

先輩志士方々の為に喜んで命を捨てる事ができる青年達から、現在と未来を見据えて人を思い遣る心を持つ先輩志士(越智彦四郎や村上彦十、武部小四郎方々)の凄さ(魅力)を感じました。

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かくして武部小四郎の乱、宮崎車之介の乱等が相次いで起こり、乱の鎮定後明治政府に対して功績を挙げる県当局は、残る少年連達を次々と捉えて投獄して拷問をかけていったそうです。

筑紫新聞第14号と15号には、福岡の変に関わった人物の処遇や決着について書かれております。越智彦四郎、村上彦十、武部小四郎等の事が記されてあります。

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(写真は頂いた直訳文です)

武部小四郎は行動を別にしていた為、一番最後に捕まっていますが、福岡に潜伏中、様々な方から匿われてた為、その周りの方も取調べを受け処罰を受けてます。

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余談ですが西郷隆盛の写真はほとんど出回ってない事は有名ですが、筑紫新聞第10号には西郷隆盛や桐野利秋方々の写真は1枚50銭づつ値上りしている内容が書かれているそうです。これが意味する事は、手配書の様に写真がバラ撒かれ配られていた事が伺えます。しかも値上りするという事は、実際にはあったのでしょうが、なぜ本物が見つからないかが不思議ですね。

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話は戻りますが、福岡市内(福岡藩御膝元の地)に潜伏していたのに一番最後まで捕まらなかったのは、多くの方々の協力があったからに他なりません。それだけ市民から支持された方だったんですね。

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その武部小四郎の最後がカッコイイんです。筑紫新聞には武部小四郎斬刑に処せられたりと書かれています。

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普通は捕まった者は強がったり、色々な事を言う者が多く、首を切られる者は尚更の事、暴れたり不満の声をあげる事がほとんどだったらしいのですが、武部小四郎は介錯人に猶予をもらうと、身形を整えた後首を低くし「よろしい」と一言、取り乱す事は微塵もなかった事が書かれてあります。

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当時は讒謗律や新聞条例等で、政府(官軍)を反対する者の主張を書いてはいけないという規制がある中で書かれた事、もしくは書かざるおえなかった事に、この筑紫新聞が記した言葉の意味に凄い意味があると思います。

辞世の句まで載せてあり、反乱軍(賊軍)に対して「斯くの如き人をして、一時方向を誤り、千載に汚名を遺すとは、噫(ああ)、惜しいかな」と書き加えられてます。本来、反乱軍(賊軍)に対して、このような表現される事は通常では考えられません。よほど物凄く立派な方であったかが伺え知れます。

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筑紫新聞にはいままで述べてきた様に書かれてありますが、近世快人伝には違う事が書かれてあります。
少年連のいる獄舎の位置を心探しにしている様子であったが、忽ち雄獅子の吼えるような颯爽たる声で、天も響けと「行くぞオォーオオオー」と絶叫した事が書かれてあり、少年連は思わず獄舎の床に平伏して、泣き出す者もいたようです。奈良原到は「あれが先生の声の聞納めじゃったが、今でも骨の髄まで滲み透っていて、忘れようにも忘れられん。あの声は今日まで自分の臓腑の腐り止めになっている。」とあります。

どちらが正しいのでしょうか?もしかしたら互いにカットされている部分があり、小林よしのり先生の「愛国志士決起ス」に描かれてあるように両方正しいのかも知れません。

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私は福岡の歴史を知り、本来日本人が大切にしてきた本当の意味での強さを身に付けないといけないと思いました。正直、私は所属欲求が強いのかも知れません。正しいと思った事は1人でも遂行できるサムライスピリッツを教えられました。

最後になりますが、武部小四郎が最後に捕らえられるキッカケになったのはお寺の住職の密告によるものです。それに対して住職に物凄い批判の声が上がった事が筑紫新聞に書かれています。しかし、その後に武部小四郎をこのまま生かしておくと更なる被害がでて、一般市民が巻き込まれて、多くの人が不幸になる事を恐れての事なので、批判罵ってはいけない様促す事が書かれてあります。

何事もそうですが、答えは決して1つではありません。自分で肌で感じた事や自分の頭で考えて、大義名分のもと己の信念を貫く事を忘れないようにしなければならないと思いました。
その為にも、日本人としての正しい教えを学ばないといけないんでしょうけどね。