戦国大名家には其々に御先祖が培って来たものを、後世に伝える為の遺訓や処世術があります。
伊達政宗でいえば、処世術の基本となったのが「仁義礼智信」に基づく"伊達の五常訓"です。
仁に過ぎれば弱くなる。
義に過ぎれば固くなる。
礼に過ぎればへつらいとなる。
知に過ぎれば嘘をつく。
信に過ぎれば損をする。
人を大切にし過ぎれば相手の為にならない。正義を振りかざすと融通が利かなくなる。礼儀正しさが過ぎると相手には嫌味になる。頭がよすぎると平気で嘘をつく。他人を信じ過ぎると損をする。という訓示です。
そもそも五常(または五徳)は、儒教では人が常時守るべき項目であり、これらを充実させる事により、人の道を全うする事が出来ると説かれています。
仁→親しみ、慈しみ、情け深くある思い遣りのある心
義→正しい道や道理にかなった事、人道に従う事、私を捨て公の為に尽くす行い
礼→(仁を具体的な行動として表したもの)私利私欲を捨てる、人のふみ行うべき道、社会生活上の定まった形式、礼儀礼節
智→人や物事をよく知り善悪の正しい判断をする力、偏りのない考え方
信→欺かない事、真実で偽らない事、誠実、信頼
賛否両論、捉え方は個々により異なるものですが、戦国時代のような常に命の取り合い(駆け引き)が行われていれば処世術として大切な事なのかも知れません。
しかしこの時代、大前提として多くの日本人に"仁義礼智信"が身に付いて当たり前とされて来たからこそ、伊達政宗の五常訓は一つの処世術として遺されたと感じます。簡単に纏めるならば、伊達政宗は全てにおいてバランスを大切にしなさい…と伝えたかったのかも⁉︎知れませんね。
ちなみに今の私は西郷隆盛の様な人になりたいと日々取り組んでいるので、私の処世術みたいなものは、ありません。
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